(1)さようなら安芸乃島…

あたしは、横綱双羽黒引退以降相撲からはなれていて、若貴ブーム絶頂期はむしろ相撲を嫌ってたというほうが当たっているから、安芸関が横綱キラーとして名を馳せていたころをほとんど知らない。
それに、筆者は安芸乃島関のファンでは断じてない。
むしろ、苦手なタイプだった。
「鉄仮面みたいでコワイー」というのがその理由。
安芸関って感情を表に出さない。
怖いほどにストイックで、生まれながらの勝負師。
安芸関は昭和63年春新入幕。あの若貴の入門した場所に、すでに幕内だったのだ。
そしてあの千代の富士と対戦した最後の現役力士だった。
(ちなみに琴ノ若関は千代の富士関引退場所、返り入幕から2場所目で前頭11。横綱と当たる地位ではない)
初代貴ノ花(横綱貴乃花のおとーさん)が藤島部屋で育てた最初の関取。
かつての藤島部屋はのちに二子山部屋と合併し、幕内力士10人(だっけ?)という恐るべき隆盛を誇った。
その二子山部屋、今場所開始時は貴ノ浪、安芸乃島、五剣山と3関取がいたが、安芸関の引退、五剣山関が大負けで幕下陥落…と、来場所の関取は元大関の貴ノ浪関だけになる。
そんなわけで、このひとの引退は実にいろいろな、大きな意味を持っている。
安芸関は「闘志なき者は去れ」「弱い相撲取りは要らない」と常々語っていた。
引退を決意したということは、自分が弱くなったことを認めたという何よりの現れだろう。
寺尾関(現・錣山親方)の引退のときと同じ。ぜんぜん実感がない。
でも寺尾関のときは、もう本人がボロボロになるまで土俵を勤めての(最終場所は一度休場して再出場してきたほど)引退だったから、寂しかったけど、どこかあっけらかんとしたキモチがあった。
安芸関の場合は違う。
十両ではまだまだ取れるはず。幕内にも返ってこれるはず。
でも本人は「十両に落ちてまで取らない」と以前から公言していた。
そして「今が一番いい(やめ)時」とも言っていた。
これが安芸関が納得した答えなんだなと、会見見て思いました。
これで、蔵前で初土俵を踏んだ幕内力士はムコ殿こと琴ノ若関ひとりになりました。
ムコ殿はもちろん来場所の最年長関取です。(来場所の返り十両の面々が発表されてないけど、ムコ殿より年上の琴冠佑さんの返り十両は今場所は無理だろう)
大好きなムコ殿がもうそんな存在になっちゃったんだなぁ…。
ご贔屓さんの引退を見るってのは、そう遠いことじゃないんだなぁってふと思ったりします。
でも。
あたしムコ殿にはやっぱりボロボロになるまでがんばって、やめるときは惜しまれてやめてほしい。
「蔵前で初土俵を踏んだ最後の幕内力士が、ついに引退しました…」って。
…まだまだ、あんま考えたくないんだけど(笑)。
今場所西前頭4で勝ち越したし。
とにもかくにも。
安芸乃島関、本当に長い間お疲れさまでした。

(2)モンゴル大旋風吹き荒れる

モンゴル勢の活躍は別に今に始まったことでもないから、取り立てて騒ぐことでもないと思われる向きがあるかもしれない。
しかし今場所はハンパじゃないのだ。
まず幕内最高優勝が横綱朝青龍関。
そして殊勲賞が、モンゴルからの1期生旭鷲山関。
敢闘賞も同じ1期生の旭天鵬関。
西前頭13枚目の朝赤龍関も勝ち越し。
表彰式には、朝赤龍関以外の3人が出席した。
シュウ関とてんほー関の同時受賞ははじめて。
東幕下11枚目の、入門以来序ノ口・序二段・三段目とぜんぶ全勝優勝で突っ走ってきた時天空(←お気にのひとり)も今場所自己最高位で勝ち越した。モンゴル出身5人目の関取の誕生も近い。
なんでもシュウ関と横綱もようやく和解の握手を交わしたとか。よかったね。
ああ早く時天空が関取にならんかなぁ。でもそのためには投げ技と足技に頼り過ぎるクセをちょっと封印したほうがいいかもしれん。
名古屋でモンゴル旋風を止めるのは、…もしかしてハワイ出身の横綱なのか…?(その前にマルは復帰するんだろうか)
奮起せよ、日本出身力士!!

(3)大関陣の光と影

でも今場所は取り立てて「光」がない。
強いてあげれば、今場所ふたりいたカド番大関(負け越すと大関陥落)が来場所いないということくらいか。
こんなん当たり前になってていいはずなのに…。
「大関互助会」というフレーズがある。
7勝7敗で楽日を迎えた大関が、ほぼ必ず楽日に勝って勝ち越しを決める。
楽日は大関どうしで組まれることが多いから。
千代の富士全盛期の大関陣(若嶋津、琴風、北天佑、朝潮…くらいか)が「持ちつ持たれつ」状態だったのを揶揄したコトバ。
その大関互助会が平成の世によみがえったかということを書いてる新聞がありました。
ある意味当たってます。
今場所のは魁皇関の「鬼になれないやさしさ」がいちばんの原因。
現に、千代大海関と横綱には圧勝していながら、カド番の武双山・栃東両大関に負けてます。
そこが魁皇関のいちばんの魅力でもあり、最大の弱点でもあり、横綱昇進を阻む要素でもある。
あれ?なんか若の里忍のとこでもさんざんそんなこと書いたな(笑)。
話はそれるけど、若の里忍と魁皇博之って共通点多い。
三役在位がやたら長くて、怪力で。早くから嘱望されていて。魁皇関も大関になるまでにものすごく時間かかったなぁ…。
千代大海関の綱獲りはまた白紙に戻ったし。
こう考えるとワンチャンスをものにした朝青龍関ってやっぱスゴイ。
とにもかくにも、大関陣が奮起しないことには場所が盛り上がらない。来場所も4大関そろっての出場になるだろう。カド番いないんだから。めいっぱい名古屋場所をおもしろくしてもらいたい。

(4)十両尻と幕下筆頭-この1枚の差

場所後に気になるのが十両昇進と幕下陥落の入れ替え。いちばん注目していたのは今場所の新十両の魁道関だった。ほかの新十両(黒海関と普天王関)は注目度高かったし番付に恵まれたから、1〜2点負け越しなら十両確保できる。魁道関は西13枚目、いわゆる十両尻。負け越しイコール即幕下へ逆戻り、なわけだ…。
この「十両尻」と「幕下筆頭」、たった一枚の番付差が天国と地獄。
十両にいれば関取と呼ばれ、付け人もあてがわれるし、勝ち越せばお給金が出る。羽織も着れるし。
けど、幕下だとそうは行かない。何より無給。付け人も剥奪される。羽織もご法度。
楽日の魁道関は東幕下2琴岩国さんとの割が組まれた。ふたりとも勝ち越しを賭ける一番、しかも必然的にこれが入れ替え戦になる。
魁道関は負けた。来場所からは「魁道関」ではなく、「魁道さん」と呼ばれることになる。化粧まわしもつけられないし、大銀杏ももう来場所は結えない。
勝負がついたあとの魁道関のあの表情見てたらなんかもうくーっと切なくなってしまった。上がる人がいれば落ちる人もいる。当たり前のことなんだけど。
魁道関ご本人は、「また大関(魁皇関)の付け人に戻ります」って語ってた。
そう、魁皇関と同じ部屋なんです魁道関。「魁」の字でわかるか。
魁道関ってものすごい苦労人だから、なんとしても関取残留してほしかった…。すぐ十両に戻ってこい!!

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夕方スゴイ地震ありましたね。
被災されたみなさん、お見舞い申し上げます。
2000年の10月6日、岡山で震度5弱を経験したんだけど、そのときのこと思い出すと今でも背筋が寒くなります…。

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頭痛。風邪かなー。
そういえば夏のツアーのチケ争奪戦の電話確認っていつからできるんだっけ…。
TOEICとかいろいろあるし、早めに知りたいんだけどなー。

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