まずはお疲れさまでした、と言おう。

去年九州のマル(元横綱・武蔵丸)の引退のときの気持ちと、どことなく似ている。
ほんとうに、さみしくなっちゃうなぁ、と。

平成10年初場所の番付を見た。
横綱貴乃花・曙。
大関貴ノ浪・武蔵丸・若乃花。
つまり2横綱3大関は二子山勢とハワイ出身勢で固められていたのだ。
その時代の最後の牙城がついに、崩れ落ちた。

そして、浪関の引退に当たって、マルが本音をこぼしている。
「負けて一番悔しい相手だった。最後までそうだったな。普通の相手とは全然違ったよ」
「お疲れさま。これからは協会内で一緒。ライバルじゃなくて友達だよ」
…(私の記憶の範囲で)現役時代も、引退後も、浪関に対して感慨深いコメントをすることがそれほどなかったマルが、だ。

マルの引退のときに見せた浪関の涙。
浪関の引退のときに吐露したマルの本音。

ここにふたりの、たぶんふたりにしか知りえないライバル関係の本質があるのだろうと思う。

昭和初土俵の力士がまたひとり土俵を去った。
残っているのは現役関取では古い順に、琴ノ若(昭和59年夏初土俵)、琴龍・北桜(昭和62年春)、魁皇・和歌乃山(昭和63年春)…の5人になってしまった。
現在取的の関取経験者入れても、富風(昭和62年名古屋・現在序二段)、琴岩国・琴乃峰・福薗(昭和63年春・現在幕下)の4人が加わるだけだ。
琴ノ若初土俵のときに生まれてなかった関取が現在ふたりもいるのだ(萩原・白鵬)。
そして、恐るべき隆盛を誇った二子山帝国(藤島部屋→二子山部屋→貴乃花部屋)から、ついに関取がいなくなった。
時代は、変わった…。

オーソドックスからは程遠い相撲を取る人だった。
体格、身体能力も含めて、まさに「規格外」。
そしてそれが強烈な個性となった。
師匠(二子山親方)は正攻法の相撲を取らせようと試みたこともあるらしいが、勝てなくなり、ケガまでする始末。そこで師匠は放任に切り替えた。好きにやらせたわけだ。
そして後に浪関は大関にまで昇進する。

私は若貴ブームのころ、いちばん相撲を見てなかったので、当然浪関の全盛期はほとんど見ていない。
しかし優勝したときの雪の中での三沢市でのパレードは見た覚えがある。
今思うと、浪関の全盛期、見たかったと思う。惜しいことをしたものだ。

たぶん、もうこんな相撲を取る力士は出てこないんじゃないかと思う。
というか当分出てきてほしくないなぁ。私個人的には。
浪関の土俵人生の晩年しか見ていない私にも、それはそれは強烈な印象を残していったのだ。

ほんとうに、お疲れさまでした。
浪関がどんな力士を育てるか。
楽しみに、見させてもらいます。

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東京暑かったんすか。
当地は寒いんですけど…。
あわててパーカーを引っ張り出し、足元に毛布かけながら相撲中継を見る始末でした。

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